爺が岳東尾根、厳冬期の挑戦

日  程 2000.02.18(金)〜2000.02.21(月)
メンバー 平山、亀山(報告)
概  略 鹿島山荘−爺が岳東尾根1331m地点−ジャンクションピーク
      −(1766.9m)−P3(1978m)敗退−鹿島山荘

2000.2.18 2000.2.19 2000.2.20 2000.2.21

2000年2月18日
新宿−中央高速八王子インター−松本インター−大町温泉郷(テント泊)
本日を迎えるまで、今までに経験をしたことのない周囲の反応に少し戸惑いを感じていた。厳冬期の後立山への挑戦は時期尚早なのだろうか。「山は逃げない」よく耳にする言葉ではある。でも僕自身の体力は確実に坂道を下っている。のんびりと構えてはいられない、いま挑戦することが一番若い自分でその山に臨めるのである。一昨日は宮川会長から連絡が入る。とても心配させてしまっている。素直にその言葉を頂戴し自分の心に住むブレーキを強く感じるように言い聞かせた。ザイルを借りるために連絡をいれた土川さんからも天気に柔軟に対応できるよう、余裕を持つことを教えていただいた。中村さんには「まず八ヶ岳で冬山入門して、やさしい冬山を数こなし、北アルプス南部、谷川連峰と経験してそれから後立山ってのが順番だぞ」と、先週出かけた朝日連峰の玄関口「民宿美和」の酒の席で暗に今回は止めておけと忠告されていた気がする。
いつもの集合時間よりもぐっと早い19時半、新宿で落ち合った。明らかに二人とも緊張しているのが分かる。二人での山行はいままで数多く行っているのに心配の種ばかりが大きくなっていく。稜線を外れたら?表層なだれが拓の姿を消したら?いや、自分が真っ白い空間に包まれたら?そうしたらどうすればいいんだろう。
案ずるよりも生むが安し。やはりこの体でトライすることで答えを見つける方法を選ぼう。それを答として首都高速の入り口に車を進入させた。
中央高速は順調で松本インターをおりる。今や習慣となってしまった「コンビニ立ち寄り」をしながら大町に向かって北上し、24時、記憶に残っている公衆浴場の駐車場にテントを広げた。皮膚に刺してくる冷気の中で覆い被さるかのような星に気づくと、山に来たのだと認識を新たにした。
せっかく健康的な時間に寝床が完成したのに、前祝いの宴は長引き2時を過ぎて慌てて寝ることになった。

2000年2月19日
大町温泉郷−鹿島部落−ジャンクションピーク(テント泊)
テントを撤収しその場で着替え、装備を確認した。持参した体重計にザックを載せると亀山23kg、平山28kgと出た。なぜ5kgも違うのか。中身をばらしてみたが余分なものは見当たらない。原因は特定できなかったが拓から燃料缶、冬用外張りを譲り受け重量調整をした。しかし、僕にとっては久しく担いでいない重量であり、この後体力を吸い尽くされていくことになってしまう。鹿島山荘前の県道が車数台分、余計に除雪されていたのでそこでエンジンを切り、フロントガラスから読めるように山行計画書を広げ鹿島山荘に挨拶に伺う。空は吸い込まれたい衝動に駆られるようなブルーである。土間に下りてきてくれたおばあちゃんは明日の昼までこの天気は続き、その後は雪だよ。と伝えてくれる。ともあれスタートが太陽に迎えられると気持ちは安らぐ。そして今回の山行の成否は今日、第1日目にどこまで行けるかに大きく左右されるだろうというのが二人の共通認識だった。ならばいい天気に越したことはない。
噂されていた通り、鹿島山荘の裏手からはじまるその道に先人の道しるべはなかった。先週歩かれたというラッセル後がわずかに周りの雪面よりも低くなっているだけである。1歩を踏み出す、そのときから膝まで埋まるラッセルのスタートとなる。ところが僕が左足をあげたとき視界に入った靴の映像が乱れたように写った。改めて目を下ろすとワカンがあさっての方向を向いている。なんと初めの1歩からワカンが外れているではないか。なんとも恥ずかしい感覚に襲われた。締め方がゆるかったわけではない。紐を通す留め具のほうが外れてしまっている。同じ型のワカンのオーナーである拓がすべての留め具をチェックするようアドバイスをくれる。先週の祝瓶山のときには一度も締めなおすという行為をしないで済んでいただけに精神的にダメージが大きい。先行した恥ずかしさが収まらず、拓に先に行ってもらえるようお願いし除雪されている雪の上で留め具を点検した。始めから腰上のラッセルに御対面
スタートで躓いてしまったことが原因なのか意気があがってこない。拓に先行してもらいセカンドのラッセルであるはずなのにすこぶる足の動きが悪い。僕の鈍速な動きに反して最初の堰堤を越えると一気に勾配はきつく角度を持ち始めた。拓の踏み後を崩してしまいいよいよ登ることすらできなくなる場面が何度も出てきてしまう。1歩踏み挙げても斜面が崩れ元の位置まで足が抜けてしまうのだ。細い枝をつかんで腕で登るような斜面が続く。拓の姿は一向に見えない。ファーストなのにどんどんと高度を稼いでいく彼の動きが意識の中のシーンに写り込む。背中の重量も忘れることできずショルダーベルトを必要以上に動かしていた。
拓にファーストをお願いしてから2時間、斜面の向こうに彼の黄色いジャケットが不意に現れた。彼は汗も引き体温を奪われ始めているかのように寒い顔をしていた。姿が見えてからも遅々として拓の隣に自分を移動できない。何てことだ。自分の力がピークを過ぎてしまったという現実が頭をかすめる。認めたくない。もう一人の僕が横で言っている。
やっとペアに戻れたポイントであったが最初の稜線上のピーク1331mではなかった。まだ東へ向かって尾根が延びている。ここに来るまですでに3回ワカンをはずしていた。根本的な履き方に間違いがあるのか、拓に確認してもらう。紐の取りまわしもあっている。テンションをかけ過ぎているのだろうか、とはいえ遊びのあるワカンなんて気持ち悪い。結局対応策としては「こまめに確認する」という方法しか出てこなかった。
1331mのピークに向けおそばせながらファーストを行く。ゆるい勾配を持つ支尾根かと思ったがすぐに急登が再開した。ザックはしっかりとその存在を僕にアピールしておりスピードは上げられないので1歩1歩を膝で足場を作りそこに足を置きなおす、という確実な方法で標高を積み上げていった。そして何度かファーストを変わり朝食で取った燃料がそこをつき始めるころ、東に見える斜面は谷へ向かって下降をはじめ、ようやく1331mピークにたどりついた(12:40)。区切りも良く、最初の関門を通過した安堵感からランチとする。地形図によれば東尾根の稜線上に立ったところであるが、このピークに出るだけでこれから歩いていこうとする長い稜線がすべて視界の中に納まってくる。左の稜線を上り詰め、鹿島槍の双じ峰に立つはず、だったが。。その稜線の上には目指す爺が岳がその双じ峰をみせていた。これまでの難業からすでにその稜線はあまりに長い道のりに見えた。
前回の行動食でレーズンがとても食べやすく水を必要としない行動食であることを検証したので今回もドライフルーツを用意した。前回はジャケットのポケットに仕舞っていたが、ザックのウエストベルトが干渉していたのでより取り出しやすいようにオーバーパンツのポケットに移動した。パインのドライフルーツは行動食としてかなり有効である。
30分の長い休止を切り上げて歩き出した。今までの急登の斜面からは開放されたがワカンは深く雪面の中に吸い込まれていき、ただの1歩が大変な1歩になるのは変わらない。祝瓶山でミスコースした反省から赤布をこまめにつけながら進む。ファーストはダブルストックでルートを築き、セカンドは後ろの赤布が見えなくなる直前を狙って赤布をつける枝を物色しながら高度を稼ぐアルバイトを続けた。(このアルバイトと言う表現は松涛明著「風雪のビバーク」から拝借)
右から顕著な尾根が合流してくるのがはっきりと確認できるようになり、この合流点がジャンクションピークだろうと二人の認識が一致した。そしてそれは出発前に考えていた本日の行程距離からすると予想以上の成果であった。
張り出すほどには成長していない低い雪屁の影に荷を置き、大きく開けた稜線上の広場に上がるとそこには裾野を広げた爺が岳が居座り、そのまま稜線を右に伝えば鹿島槍ケ岳が鎮座している。爺が岳のピークからは雪煙がなびいているのがはっきりと見え、強い風の存在が感じられる。晴天は続きそうもないことが薄く雲の張る空から感じ取れるので稜線から一段下がったゆるい斜面にテントを張ることにした。
天気は下り坂であり、明日は一日テントの中にいるかもしれないのでテン場の作成には時間をかけた。酔っ払いがテントから飛び出してもつぼ足にならずにトイレまでたどり着けるようにトイレ道も入念に踏みこみ、まるでBE-PALに出てくるようなきれいなテントサイトが出来上がった。越山さんからお借りしたゴアライトは男二人がザックと一緒に入るにはちょうど良い空間を持っていた。底面からの側壁の立ちあがり角度も大きいので壁際まで座る位置をずらせる。そして特筆すべきはその側壁がまったく濡れないことだった。これぞ「ゴアテックス」のなせる技。布一枚向こうは当然マイナス、テントの中ではガソリンバーナーが二つも青白い炎を勢い良く吹き出しているというのにまったく結露しない。僕のテントだったら天井からキラキラと凍りの結晶が顔の上に降ってくる事だろう。
食当はなま物のある僕のものから食べることにする。なま物、冬山だから持ってこれる食材だ。豚肉300g、拓が持ってきてくれた味噌で豚汁にする。ご飯は根菜炊きこみ、土川さんから伝授された“つきだし”は海藻サラダのゆずドレッシング和え。今日のアルバイトを労う夕食となった。貴重なビール350mlを二人で分けて乾杯し、夜を長く楽しむために二杯目からはバーボンをお湯割にして楽しむ。ストレートで飲みたいところだが今宵の制限酒量は二人で500ml、最後はクラブで飲むような微かな香りがする“お湯”にまで薄められていた。
しかしよく食べた。三合炊いた炊きこみご飯は底が見え、朝も登場するはずだった豚汁は汁も残っていない。それでいておなかは張っていないのだ。どうしたことか、こんなに燃費が悪い体になってしまった。言い訳するとすれば早蕨で山行に行くようになってから食生活が良すぎるのだ、うん、そういう事にしておこう。
夜明け前から行動を開始すべく9時過ぎにシュラフにもぐり込んだ。

2000年2月20日
ジャンクションピーク−P2(1766.9m)−P3(1978m)敗退−ジャンクションピーク
昨晩の就寝前には4時起きの6時出発、なんてことを言っていた筈だった。二人だからなのだろう、寝心地は良く、顔は直接テント内の空気に触れているというのにまったく寒さが感じられない。一人でテントに寝るときは冷気が直接顔の肌に刺し込んでくるから呼吸に必要な最小限までシュラカバーの入り口の紐を絞り、鼻先だけ外から見えるようにするのが常だった。人の熱源とはこんなにも部屋を暖めるのか。耳にはサラサラとフライシートを滑り降りて行く雪の結晶達の音が届いていた。気持ちいいなぁ、と夢との間を行き来する時間を楽しんでいると拓の声が響いた。「かめぇ、もう6時過ぎてるよ」
すっくと起きて朝食の準備をし、足早にピークハントに出発するには時既に遅しであった。吹流しから顔を出すと静かに、そして確実に目の届く視界にもれなく雪はおり立っていた。きのう、時間を掛けて踏み固めたトイレへの道もまるで何事もなかったかのような平面に戻っている。
とりあえずシュラフから這い出しMSRをポンピングすることから一日を始めてみる。始めてみる、というのは次に続く出発準備までの流れを一気にこなす気になれないでいるのだ。停滞かなぁ、その考えのほうが頭の中の多くを占めている。昨日の炊きこみ御飯の残りに餅を入れおじやにする。食べながら拓と今日の行動を話しあうが拓は今日という時間を停滞に使うのは納得いかないらしい。この小さなテントの空間に二人で夜がくるまでいるのは耐えられない、それは僕も否定できない。昼間の時間を潰すつもりで空荷で行けるところまでアタックしてみることに意見がまとまった。
テントのジッパーを下げピッケルを右手に持ち替え、09:30ワカンをより高い雪の中に置いた。拓に離されすぎないように二人の距離を気にしながら高度を稼ぐ。稜線伝いの歩きやすいルートのはずだが高度をサクサク稼いでいるようには思えない。右にも左にも、そして上に向かうにも足は深く雪の中に吸われ引きぬくことにエネルギーを投資しなくてはいけない。両側が急な角度で切れ落ちている痩せ尾根は写真でしか見たことなかったので、息を吸いなおしピッケルを滑落停止姿勢にかまえたまま通過した。少しでも傾斜がきつくなると全身に血をめぐらさなくては次の1歩が完成しない。11:10地形図からP2と思われるピークにたどり着いた。まだ午前中なのでもうひとつ狙ってみる。大きな休止は取らずファーストを変わるときに小刻みにドライフルーツを口に運んだ。一時間アルバイトを続けると次の雪のテーブルに到着した。恐らく1978mのピークだろう。1m四方ほどを踏み固めランチを楽しむ。視界は決して利かないがすぐそばに鹿島槍の存在は感じられる。それでも今日はここまでにしよう。僕らの前にはトレースの痕跡さえない稜線が爺が岳の肩まで目で追えた。
風が強くなり雪がまた視界のなかに割り込んでくるようになってきたので12:55下山を始めた。あれだけ時間をかけたはずなのに13:40昨日過ごしたダンロップテントの黄色いフライシートの元に到着してしまった。雪の勢いは決して強くないので丹念に雪かきをし、トイレもひとつ下の木のたもとに作りなおした。新築のトイレ、です。快適快適15時になると日が差しこみテントの内のルクスが上がり、外を覗くと積もったばかりの雪が輝きを放っている。夕飯には早いのでおやつと称してお吸い物に餅を入れ、さらにとろろ昆布を足してさっぱり味を楽しんだ。外が明るくなってきたのが引き金となったのか強い睡魔に襲われ会話が少なくなる。ラジオはNHK第二の入りがよく英語番組を流していた。翌日下山してから思うに至ったのだがこの日にトレースのついたP2までテントを上げていればもう1歩頂きに近づけたのかもしれない。
今夜は拓の食材をいただく。炊きこみが二晩では芸に乏しいので今宵は白米として鮭のフリカケで米の味を嗜むことにした。アルコールは焼酎500mlしかない。これは僕ら二人には大事件であった。乾杯のビールを出し惜しみ何とか6時代まで引っ張ったがやはりアルコール欠乏の夜になってしまった。あとは何を犠牲にしてアルコールに割り当てようか。本気で二人で議論を交わしてしまう。

2000年2月21日
ジャンクションピーク−鹿島山荘−帰京

熟睡の晩を過ごし06:40テントの外に出る。二晩過ごしたテント周りの風景は目になじんでいる。厳重にペグを差したゴアライトを撤収し07:30帰路についた。行きに作ったトレースは見事に消えている。赤布の成績発表とばかりにその赤い点をつなぎ合わせながら高度を下げていく。行きに何歩かけたのか想像つくような斜面を1歩でやり過ごしてしまう。1時間たったところで悔しいので休みを取る。霧も出ず視界良好なので赤布をつなぐことに苦労はしなかった。稜線を終え、鹿島山荘へ続く急坂を半ば滑り落ちるようにして下っていく。確かにここを登るのは大変なはずだ、何も必要とせずに滑っていけるのであるから。
またワカンが外れる。ただ今回は気持ちにゆとりがあるのでカラビナをワカンに付け紐を締め上げる。抜ける部分がなければ外れることもできないだろう、どうだ。といった気持ちになっていた。スピードは拓にかなわず彼が待つ鹿島山荘前に抜けた。山荘のおばあちゃんに御茶をいただき下山の報告をする。これまでの山行者の話を聞いてうるちにおもむろに硯に墨汁が入れられた。凍傷になるような低温ではなかったが今筆を持つのは気が引ける。それでもおばあちゃんの好意に応えたい気持ちからしたためさせていただいた。

鹿島山荘のおばあちゃま。