マウントクックを去り西海岸へ。かねてから行きたかった温泉を目指す。ところが入山しようとした日はまともな雨。仕事のときは構わず歩き出すが自分のときは話しは別、一日延期した。
5月5日
フォックスグレイシャー村のバックパッカー(低予算旅行者御用足しの安宿)で朝を迎える。雲が張っているが雨は止みどこかしら空も明るい。朝食を摂っているうちに青空も見えてきた。宿のオーナーに天気予報を聞くと「今日だけだよ、晴れは」とそっけない回答。とはいってもこの一日はありがたい。温泉のある山小屋まで長いのだ、しかも世界遺産として登録されている原生林の中を歩けるのだから。
9:20 宿を後にする。トラックの入り口まで30km、20分のドライブ。マウントクックを西海岸側から望む。いままで見慣れた姿とは随分違うがこれもまたクックなのである。国道沿いの入り口にはゲートがあり、開けて、車を入れて、閉めて、で数百m進むと10台は駐車できる広いスタート地点に着く。トイレもあり焚き火の跡も残っているので、出発前日泊も可能だ。
9:55 最終点検を終了して歩き出す。今回は“水楽園”と名乗るワーホリメーカーとパーティを組む。駐車場の隣に最初の渡床がある。地形図には上流に橋のマークがあるが今シーズンの初めに撤去され濡れずには先に進めない。水楽園は裸足にスポーツサンダルを履いて水に入る。“ここだけならいいが。”そして対岸でトレッキングシューズに履き替えるがその間にサンドフライの塊が彼女を包んでいた。
10:10 改めて歩き出す。とにかくコップランド川(
Copland
River )に沿ってその右岸を上流へ歩いていくのがこのトラック。しかし単調、なんていったら大間違い!そこにひろがる原生林の深さは想像以上だ。巨樹がコケむし、それを苗床にして多種の原生植物達が空間を埋めている。歩くことが殊更楽しいトラックでミルフォードサウンドトラックに引けを取らないと思う。
11:45 展望台(
River
View Point )へ寄り道して休憩にする。木々の抜けている方角にはカランガルア川(
Karangarua
River )とコップランド川の合流点が見える。後からドイツ人カップルもやってきた。今夜の山小屋で一緒に過ごす組だが昨日のバックパッカーでも一緒だったことを知る。彼らは茹で卵を取り出してランチタイム、僕らは12時きっかりにコースに戻った。
13:05 Pick
and Shovel Flat と呼ばれる平地を通過すると崖の下に続く道に入っていく。橋を示す看板があるが橋を使うルートは洪水地の迂回路としてのものであり問題なければ沢を渡った方が確実に早いし安全だ。
14:00 正規のトラックも吊り橋を使うアーキテクト沢(
Architect
Creek )を通過する。この沢は渡れない。流速も早く一見して深そうだ。橋を渡って休んでいるとドイツ人カップルが追いついてきた。30分ほど進むと地滑り地帯に入る。看板には「この先地滑り地帯、向こう500m止まるな」と書いてある。たしかに若い地滑りで荒れているが足跡はしっかりしていてルートマークも小刻みに出ていて分かりやすい。自分への一撃を警戒して上を見ながら森への入り口へ急いだ。
15:10 パラベール沢(
Palaver
Creek )に掛かる吊り橋を越える。手前からこの橋が見えたので橋を渡ったがやっぱりそのまま沢を横断した方が早い。10分行くと展望台(
Ponchbowl
Lookout )への寄り道サインがある。対岸にある立派な落差を持つ滝がパンチボール滝で水量も豊富だ。本線を15分進んで次の吊り橋(
Open
Creek foot bridge )を渡り、トラックは登り気味、凸凹気味になる。
16:18 事前情報で橋が撤去されたというシール沢(
Shiels
Creek )を渡るが今日の水量では橋は使わない。
16:34 道は平坦になり視界が開ける。山小屋(
Welcome
Flat Hut )が見えると同時に立ち上る湯気も確認できた。やった、ついに遂に念願のNZ野天風呂にありつけた。山小屋には僕らを含めて4パーティ、7人が居たが僕らが最後まで温泉に浸かっていたことは想像に難くないと思う。
温泉はいくつかのプールがありそれぞれ温度が違うので気分に合わせて選べばいい。ただ腰までの深さがあるのは一つだけで残りは寝湯のようになる。底には10cm程度の泥の層があり体を包んでくれる。ただし水着の奥にまで入りこむが。日中の厄介者、サンドフライは季節柄か気になるほどいなくて逆に拍子抜けしてしまった。
5月6日
9:50 立派な吊り橋を渡ることから一日が始まり、一つ奥の山小屋に向かう。距離は7kmなので多くの人は日帰りサイドトリップにするが、さらに山小屋から奥のトラックをサイドトリップしたいので山小屋まで全ての荷物を挙げる。トラックは極めて判り易いが平坦さはなくなり、一つ一つの岩も大きくなり滑った後のことを考えるとあまり気持ち良くない。雨は落ちてこないが曇天で明日狙いの移動日の様相を呈する。昨日はずっと右岸を歩いたが、今日はずっと左岸をあがっていく。草原状に河原がひろがるウェルカムフラット(
Welcome
Flat )を進み徐々に山の斜面に吸い込まれていく。
11:20 歩いていてふと「フラワーファンガスいるかなぁ」という言葉が頭の中を抜けていった。するとその鮮やかな“赤”色が目に飛びこんできた。いままで見たことのない植物である。なぜ名前を知っているかというと僕がバイブルにしている原生植物写真集の中でもひときわ原色を放ち奇妙な形のきのこだからだ。ひとりかなりの興奮状態、百聞は一見にしかず。本当にこんな植物がいるのである。
12:30 道は登り勾配が続き、雨も降りだして岩もテカリだしてくる。地形図で見るよりも長い7kmだ。テカノ沢(
Tekano
Creek )にかかる吊り橋には出来たての看板が掛かっている。“あそび”が多くてゆらり度合いがつよく左右に振られる。
13:30 深い原生林が不意に開けるとゴールのダグラスロックハット(
Douglus
Rock Hut )が現れた。雨はしっかりと線になって降っていてこの先の森林限界上に行っても濡れるだけで、そこにひろがるであろう山々は望めそうにない。山小屋でのんびりと夜を待った。ウェルカムフラットには石炭が用意されていたがここは薪のみ、しかもどれもがよく湿っていて重たい。のんびり、を楽しむのには好都合のストーブ遊びの時間になった。
寝袋に入る頃から雨は激しくなり強烈に屋根を叩く。光ってから闇を破く音までが近い雷も参加する。そういえばこの山小屋の掲示パネルには「この山小屋は地滑り、雪崩に呑まれる可能性のある場所に建っています」と書いてあった。おいおい、どうしろというのだ。寝てしまうことが解決策だった。
5月7日
昨日と同じ場所、同じ屋根の見える寝袋の中に居た。窓の向こうには青空も見える。良かった。
9:30 お昼に山小屋に戻る予定でサイドトリップに行く。地形図によればこの先の岩場に出ると氷河が頭上に見えてくるはずだ。深追いはせず3本目の沢までを目指す。ところが低いガスはなかなか取れてくれない。ときおりそのガスの中に絶壁を持った岩山の存在が見えるが全容を知ることは出来なかった。このトラックをズイズイ進めば先月まで生活していたマウントクック村に抜ける峠(
Copland
Pass )もあるのだ。次回の楽しみにとっておこう。
12:50 掃除を終了してウエルカムフラットハットに戻る。歩きながら振り返るとさっきまで真下に居た巨大な岩山が見えてきた。上部には白い河が貼りついている。昨日の雨の影響なのか幾筋もの滝が白い筋を縦に走らせている。あんなところを登りたい、と思って眺めているうちが良いのかもしれない。4時に山小屋に戻ってきた。
山小屋にはバックパッカーで見かけていたドイツ人カップルもいて話しが長くなる。10年前にNZに来て「3年後にまたここに来よう」と二人で計画したがその3年後が10年後の今年になってしまったそうだ。しかし彼らは今、NZを一年掛けて旅行している。夢をつかんだ人が目の前に居る。
さらに今宵の湯は格別な時間となった。完璧な温泉プラネタリウムが開放された。天の川は確かに星の河なのである。そして源泉からの熱い流れでつくるあつ燗ほどこの空間に似合うアルコールはないのではないだろうか。
5月8日
残念ながら帰路に着く。一度歩いた道だが反対に進むと目に入ってくる景色はガラリと変わるので飽きることはない。昨日の宿泊者の多くは朝風呂に出ていった。といってももちろん僕らはその前に入っている。自分達の使った廊下にあたる部分と調理台、テーブル周りを掃除して10時前に歩き出した。今回の山行から感じ始めたのだが何故かザックが重くなったように感じる。今日はほとんど食料は入っていないのに。。。。。歳か?
10:15 行きに立ち寄らなかった非難シェルター(
emargency
shelter )に立ち寄る。建物があるわけではなく大きな一枚岩がせりだしその下に空間が出来ているものだった。それでも4人は快適に生活できるのではないだろうか。サンドフライさえいなければ。
11:20 地滑り地帯が始まる。ここは一度歩いたという安心感が良い方に働いた。かなりの荒れ具合、一昨日の嵐でいくらか岩の位置も動いた気もしてしまう。わずかながら植物も根を張り出しているのであと50年、といったところだろうか。この通過に13分かかった。
12:35 マックフィー沢(
McPhee
creek )を渡り対岸のトラックに戻るのに鎖場をあがっていく。残置ロープは信用するな、の教えを守って進む。何せここはNZ、全ての危険は自己管理で取り扱われる。
2時を過ぎ深い原生林の道を歩くのにも単調さが出てきてしまいザックを下ろす。ほどなく僕らが山小屋を後にしたときに朝風呂に出かけていったグループが通りぬけていった。
森を抜け視界が広くなる。左を流れる河の前方に人工物“橋”が見えてきた。背の高い樹に絡まったラタが頭上で鮮やかな赤い花を咲かせている。
15:20 定刻どおり車に戻ってきた。乾杯のビールといきたいところだがサンドフライに囲まれてしまい余韻を楽しむ前に車を走らせなければならなかった。