一度目のトライは4200メートル地点でUターンするという結果になった。4人で行動するといかに時間がかかる山であるかを痛感させられた。ガイド登山が1対1(ガイド:クライアント)であることが肯ける。とにかくスピードが最重要課題となる登山、それがマッターホルンの登り方なのだろう。
アパートに戻り祝杯を挙げるわけではなく「4人で登るためにどうやって時間を作りだすか」という点について長い時間議論する。ガイド登山に先行すること2時間、午前二時に行動を開始したにもかかわらずソルベイ小屋に辿りつく前にガイド達に追いつかれてしまった現実。特にソルベイ小屋までは予想以上にしっかりと踏まれた枝道が多くヘッドライトだけを頼りに正解コースをトレースする難しさを知った。そしてほんの数メートル正規ルートを外れるだけで急に難しくなることも情報通りだった。
今年の夏は残雪が多くスピードを必要とするマッターホルンにはとりわけ条件が悪い。その証拠にガイド登山はいまだ今夏シーズン数日しか催行されていない。そこを4人で進もうというのだからいわゆる夏のマッターホルンのタイムスケジュールで動くことに無理があるのではないか。条件的に「春のマッターホルン」ということを免罪符として禁じ手とされている「前日ソルベイ小屋泊」という選択が現実的なのではないか。この案を隊の方針として選択するには長い時間がかかった。特にリーダーにとっては苦い選択に違いない。
ロープ確保が必要な部分の登り方について(主にソルベイ小屋より上部);一番手リーダー、二番手が2本目のロープ片端を腰につけて登り上部で固定、その固定ロープを使って僕が登り、その間にリーダーは次ぎのピッチを進んでいく。4番手が登り終えたら二番手が同じように2本目の片端を引きずって次ぎのピッチを登っていく。
この登り方は日本で練習していたことだが改めて確認して遵守する。高度が上がると思考力に乱れが生じその場で四人が新たな意思統一を図る必要が無いようにする。
下降について;安全確保を最優先とする。回数は増えるが少しでも安全に疑問が持たれる斜面はロープを使い懸垂下降を選択する。一番手下降、二番手は2本目のロープを担いで下降、二人で次ぎの下降点へ移動、セッティング。三番手、四番手でロープを回収、次ぎの下降点へ。
議論は長引き12時をとうに過ぎていた。ただ根底に流れるもの。それは三人でも二人でもなく、四人で山頂に立とうという意志だった。「早蕨山の会」がマッターホルンに登りに来たのではなく、マッターホルンに登りたい4個人がここに集まったからである。
8月19日
18日は休息日として装備を整えた。食料、水、防寒対策。しかしそこには最軽量装備、という条件がつく。それぞれの荷をまとめる小袋を使うかどうかさえ考慮の対象となる。
ゴンドラの始発は7時、それに合わせてアパートを後にする。二本目のゴンドラは僕らだけが乗客であり終点シュワルツゼーに一番のりとなる。9時半にヘルンリ小屋についたものの、まだ昼の営業(11時から)は始まっておらず朝食の残りだろうか、スープを飲んで出発となった。
目の前には岩の塊が天に突き上げ、一昨日と同じ威圧感を放っている。それでも精神的にとてもリラックスしているのが自分で分かる。ヘッドライトではなく太陽で照らされたソルベイ小屋までの道は明らかに難易度が下がる。網膜には空中散歩という言葉がじつにマッチする風景が映りこむ。クラインマッターホルンとの間に流れるテオドール氷河には無数のクレバスが口を開け何かモノ言いたげだ。もしかすると「おまえらニンゲンがこんなに地球を熱くしたんだよ!反省しろっ」と怒られているのかもしれない。今世界中の氷河が急速に後退しているといわれるが、ことさらスイスの氷河の後退は速いらしく数年前と比べても明らかに形が変わっているという。
ソルベイ小屋直下の急登でロープを出し稜線上にかろうじて乗っている人工物の扉を開く。
14:15 ソルベイ小屋着。まずはベットを確保する。あくまで位置付けは非難小屋であるので一つのベットに二人で寝るようにして他の人が利用できるスペースを作る。驚いたことに夜10時半を過ぎて下山パーティがドカドカっと入ってきた。イタリア側リヨン稜から登りこちらスイス側ヘルンリ稜に下山してきたらしい。そのとき既に小屋のベットは全て塞がっており彼らはうずくまって朝を待っていた。そして朝になってベットが空くとそこに倒れこんでいった。
8月20日
6:10 高みに向けて岩に足をのせる。雲が広がりだしていて快晴とは言えないがイタリア側の起伏も見ることが出来る。未覚えのある岩、ルートを追いながらガイド登山のグループに離されまいと高度を稼ぐ。
9:30 前回Uターンした4200m地点に戻る(あえて戻る、と言わしてもらいたい)。太い固定ロープがここから見える岩の上部まで続いている。登攀ルートは1本しかなく先行パーティがロープの白いライン上に並んで上へ上へと動いている。ライン上のニンゲン密度は増えつづけ注意して見ていないと僕らのザイルが支点から外されてしまったりする。それぞれが最も安全なラインを取りたくて必死だ。新たに現れてくる次の岩からは下降を始めるパーティも見えてきた。登りと下りが同じラインを通る、標高4000mの渋滞だ。西洋人は順番を大切にするはずだがここではレディファーストの習慣も戸棚の中にしまわれカギがかかる。
次の岩峰はどれだ、と岩をのっ越すと白いガスの中にキリストだろうか1.5mほどの像が建っていた。あっという間に視界は霧に包まれパチパチとジャケットに雪の粒が当たって音をたてている。悔しかった、さっきすれ違った先行パーティは4478mの高みからスイスの、そしてイタリアのパノラマを楽しめたのか。
12:12 確かに山頂に立っている。僕にとって初めての4000m峰登頂だ。ただし白に包まれた空間の中では視覚からその到達感を感じることを出来ないでいた。ときおりガスの隙間から光が入りこんで照度をあげるが秒単位のチラリズム。ジャケットのフードに積もった雪が落ち、僕の熱を奪ってサッと水にかわり襟にしみ込む。震える外気温ではない。イタリア側の山頂へ稜線を進む。まさにリッジウォーク、特にイタリア側はスパンと切れ落ちていて何かあれば千mクラスのフリーフォールを体験できることだろう。その感想を他人に話すことは出来ないだろうが。
12:55 イタリア側山頂につく。山頂での時間稼ぎをしているつもりだが一向にガスは消えない。背丈より高い鉄の十字架があり根元に30cmほどのマリア像がイタリア側を向いている。どんなイタリア大地を見下ろしているのだろう。「早蕨山の会」と書かれた旗を広げて写真に収める。スイス側に戻りキリストにも混ざってもらう。雪はまだ止まない。
| イタリア側 山頂 | スイス側 山頂 |
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| 本文中では随分と控えめな表現をしていますが、どうも写真を見る限りかなり嬉しがっていますよね、本人(青いヘルメット):本人談 |
13:20 下山開始。懸垂下降の繰り返しが続く。直径2cmはありそうな鉄の杭、アンカーリングが間隔良く打たれているので40mザイルを使い20mづつ刻んでいく。ザイルの回収でパンプアップしそうだ。
18:45 下山とはいえ時間は確実に過ぎていく。ソルベイ小屋でこの時間になっていた。とても明るいうちにヘルンリ小屋までは無理だ。計画では今夜はゴンドラの最終に乗ってアパートでシャワーを浴びるはずだったのだが・・・・・・。三回目のソルベイ泊まりを選択する。到達感はあるのだが悔しさに似た感覚がいくつも引っ掛かっていた。
8月21日
昨晩また雪が降ったようで岩肌には1cm程雪が積もっている。一つのミスが許されない、軽んじてはいけないと今一度自分を緊張させてからエイト環にザイルを通す。1本目の懸垂下降を終え回収していると見事に末端が岩にかんでしまった。登り返して回収する始末、時間に余裕があってよかった。標高が下がってくると雪は消え暖かくなっていくのが実感できる。ヘルンリ小屋の屋根が随分と大きくなる。お昼過ぎにヘルンリ小屋まで降りてきた。太陽は霧に遮られたり、押しのけて僕らを照らしたりを繰り返していた。シュワルツゼーまで戻ってからオープンデッキでビールを味わう。スライスハム、スライスチーズ、生ハム等つまみとして本当にマッチングしている文化がヨーロッパにはある。
それからほんの数日、一般観光客としてツェルマット村を散策して時間を楽しむ。僕が早蕨山の会、という存在に出会わなければこのハイキングだけで満足していたことだろう、マッターホルンはその姿を下から見上げて驚嘆することで充分満足を得られていたに違いない。そんな僕がその岩塊を登ることに興奮し、高みへと体を持ち上げることで満足を感じるようになっている、より大きなリスクを承知の上で。
サンモリッツのキャンプ場で同じようにマッターホルンを狙っていた青年と夜の宴を共にする機会があり、なぜどんどん高い山を目指すようになるのだろうという話題になった。「死が見え隠れするような行動に満足を感じるようになってしまったのだろうか」と答えている自分がいた。死が近くに居るからこそ、いかにしてそれから遠ざかるかを考えて行動するという行為に楽しみを見出しているのかもしれない。もちろんこの遊びに進むも手を引くも僕に選択権が与えられている。
8月25日早朝6時、3人をツェルマット駅で送り出した。そう、いまから一人旅がはじまる。