モンテローザを一周8月26日 Zermatt
- Europahutte 9時間(休憩2時間含む)
天気はこのところずっとグズツキ気味、夜になると決まって雨に降られる。昨晩もそうだった。でも朝方には止んで、出発を決めた。天気の回復を期待して時計回りにする。氷河トラバースのハイライトを、最後に持ってきて、そのときには太陽に祝福されたいと思ったからだ。
8:00 出発のサインが出た。ここはツェルマットのキャンプ場、駅から5分のところにある。この街はガソリン車乗り入れ禁止なので、オートキャンパーはいない。皆テントを背負ってくる仲間なので、居心地も悪くない。ところでこの旅に持ってきたのは、ツェルトなので雨には弱い。取り得は設営撤収の早さだろうか。濡れたままたたんでしまった。7日分の食料が入っているので、足のスピードは上がらない。スネガ(
Sunnegga
)に向かう地下ケーブルカーの乗り場にあるコース案内版を見て、タフターン(
Tufteren
)へのルートを確認する。いくつものルートがタフターンへ通じているが、人が少なそうな外巻きコースを目指す。民家が急にまばらになり、山の中腹までグイグイあがっていく。途中にあるレストランは、冬だけの営業と看板が下がっていた。ということは、歩いているこの道は、スキーコースになるのだろう。山はガスに隠れてしまっているが、代わりに動物達に目がいく。体全体は黒だが、尾に真っ白な縁取りをもつ鳥。やけに大きくて、太い尾のリス。
9:40 タフターンにつく。先日ランチを楽しんだレストランはまだ準備中、といっても、レストランで食事を出来るような資金は無い。自分で調合したトレイルミックス(ピーナッツ、レーズン、チョコ、クランチシリアル)を道標の前で食べる。本日の目標地、ヨーロッパヒュッテへは6時間とある。10時に腰を上げた。
コース初日は、大まかにいえば南北に走る山塊の二千m台の山腹を、東に頂を見ながら北へ行くのだが、谷が東に入りこんでいるのでそれにつられて東へ、谷の奥に道は続いていく。高低差は少なくなるが、その分距離は長くなる。
11:38 川を横断するところには、小さな村オタバン(
Ottavan
)がある。食事中の牛達は、こぶし二個分はあるような、大きなカウベルをカラン,,,カランと、のんびりテンポで奏でている。20戸ほどの集落に思えるが、お食事処もある。レストランは、スイスの国旗を掲揚していると「営業中」を示すのだそうだ。対岸を西へ戻っていく。一部決壊していたが、新しいルートが出来あがっていた。
12:15 空気の中に混じっていた雨粒が、気になるほどになってきた。ザックにしっとりと染み込み、更に重量を増す。木の下で雨宿りしていると、まじめに降ったきた。雨具を上下着る。しかし気温は低くないので、重量に負けて汗が吹きだす。
13:20 崩落斜面を、トラバースする部分が終わった。いくつもの隋道と、トンネルが作られ危険は感じないが、上から岩が転がりだしたら止まりそうもないので、上部に目をやり、耳を傾け通過する。かなり暑い。雨で服が濡れる方が、体調管理に良いかもしれない。小降りになり早速脱ぐが、ザックにしまい終わると、それを見ていたかのように、再び雨粒が大きくなった。
つづら折れの登りが続く。何故か気分が乗らない。足が前へ出ていかない。再び道は東に向い、谷の中へと進み沢を過ぎる。素堀のトンネルがあり雨宿りをする。景色は開けないし、もれなく濡れているし、ここで活動終了にしようか、という思いも出てくる。一時間以上、ぼんやり霧の中にある山を見ていた。4時を過ぎると、霧は消えないが雨粒は止まっていた。もうひと歩き、お尻の根っこを引きぬいて担ぎなおした。
16:22 ランダ( Randa )の町へ続く下山道がぶつかる。そこに標識があり、この先ヨーロッパヒュッテへの道は落石により閉鎖と書いてある。ここで一旦町まで降りて、また登り返すのはご免だ。この標識が真新しいものではないことを根拠に、現場を見てみようと進むことにする。その後も2、3枚同じように閉鎖の看板があり、何か悪いことをしている気になってきてしまった。はたして崩落場所まで行くと、確かにトンネルが落石で塞がっており、修復もされていない。しかし、トンネルの地上部分には、踏み後が先へとつながっている。何かあったときの為に、明日の日中ここを通過することとして、木々の生える安全圏まで戻ってテン場を探す。ところが、森といっても斜面が急で、安眠できるような平地が見つけられない。5時を過ぎ、新たなハイカーが上がってくる時間は過ぎたと自己判断、枝道のトラック上に一晩お世話になった。
8月27日 Europahutte ‐ Grachen 9時間半(休憩2時間半含む)
晩にやはり雨に降られ、ツェルトは一回り小さくなっている。壁に触っていた寝袋や着替えは、しっとり水分を含んでいる。時計に付いている温度計は、4度を示していた。マッターホルンは真っ白な雲をまとい、挨拶もさせてくれない
8:30 コースに戻る。昨日下見した崩落場所を通過した後、ヨーロッパヒュッテに向けて、つづら折れの登りが待っていた。ヒュッテを前にしたのは、9時をまわっていた。反対周りをしているイギリスからの家族に、崩落現場について質問を受けるが「良く踏まれた迂回路がありますよ、上からの落石に注意すれば進めるでしょう」と答えた。偵察から帰って来た若い息子も「大丈夫だよ、ママ」と足取り軽く戻ってきた。この後も家族でトレッキングを楽しむグループにいくつか会うが、皆の笑顔が記憶に残っている。カップルまたはパートナーが居るわけでもなく、単独で歩いているのは、白人の目には奇異に映るらしく「一人なのか」「一人で一周するのか」という問いを何度されたことだろう。「ふんっ!別に一人にこだわってるわけじゃないさ」と言いたかった。
森林限界を越えた岩場に、一本のトラックが続く。ふと顔を上げると山羊がいた。ドイツ語でスタインバック、英語でアイベックスと呼ばれるが、ヒトが見えても逃げるという行動はしない。この山域では良く出合う動物で、撮影にも協力的だ(動かないでいてくれる)。
再び、崩落でトラックが無くなっている場所に当たったが、50mほど上に新ルートが完成していた。フツウの山道なのに、やけに疲れる。まだ二日目なのにどうしたものか。雲が低く、山が目に入ってこないからかと自己分析するが不安だ。
13:00 台地状に開けた原っぱの中に、高さ3mぐらいの石の像が建っていた。説明書きがドイツ語だけで理解できないが、晴れていればワイスホルン(
Weisshorn;
4506m )が西の宙に、ドム(
Dom; 4545m )がリード氷河の奥に見える好展望地になるはずだ。これから向かう町グラッチェン(
Grachen
ただし僕の書いた片仮名の発音では通じない)から、ここを目指してハイキングに来る人もいる。
ここに到着する前に、一組のカップルと長話しをしていた。ベンジャミンとアンドレア(
Mr.
Benjamin & Ms Andrea )。すれ違うときに英語で挨拶すると、英語で返してくれてお互い足を止めていた。というのは、僕は英語しか出来ないが、挨拶の返事はドイツ語かフランス語で、その後は“ニッ”とスマイル交換ぐらいで話しは続かない。二人はチューリッヒからホリデーを楽しみに来ていて、ドイツ語圏出身だが仕事の関係で、英語も使う機会が多いらしい。お互い歩いてきたコース情報を交換する。そして寄り道コースとして、ベルダーヒュッテ(
Berdierhutte
)を薦められた。氷河の上をトラバースして至る山小屋で、絶景が待っているという。氷河は安定していて特別な装備も要らないらしい。
しかし、展望台からその氷河を眺めていると、氷河の上流からガスが勢いをつけて降りてきていた。分岐点まで来たときには、そこまで霧が流れ込んできてしまい、かなり行く気になっていたのだが、断念してグラッチェンの町の方角へ下っていった。
14:30 町に入るが、冷たい雨が落ちだして体を、ザックをもれなく濡らしていく。気分はかなり下降気味で、先に進む足取りも重い。街中から本線に戻るのが、一番厄介で道にも迷う。ギブアップ!町のキャンプ場に行こうと、インフォメーションに場所を聞きに戻る。ところが追い討ち、町はずれまで20分歩くという。
やばい、かなり沈んでるな。もうひとりの自分が分析している。ひとまず町をぶらつき、ブラックベリーパイをかじったり、買い物をして平常心が戻ってくるのを待った。ほどなく雨も気にならないくらいに弱くなり、インフォメーションのトイレで今晩必要な水を入手して、トレイルに戻ることを決定する。地図からすると、町から森林限界を抜けるまでのルートで、テントを張れるだろう。
貯水池のような湖( Zam
See )を過ぎ、山道がはじまると手ごろな平地が見つかった。木々がうまく遮ってくれて、山道の利用者から簡単には見えない。松の枝が、傘を作ってくれている場所にお世話になることにした。時刻は6時を過ぎていた。
8月28日 Grachen - Saas Grund 9時間半(休憩2時間半含む)
8:38 太陽を見ることは出来ないが、気を取りなおして山道に戻り、標識にしたがってハニグアルプ(
Hannigalp
)に向けて、標高を上げていく。一時間しないでリフト乗り場にでた。あれっ?またミスコース、標識で違う場所に連れて行かれてしまっては、なす術がない。しかも登りすぎていて、ハニグアルプのレストハウスへ下降しての本線合流となった。
9:55 霧が流れてる。白い景色のなか、カウベルの音がスローなR&Bに聞こえる。ハニグアルプから今度こそは、と標識を二度三度確認して、サースフェーを目指す。この先でミシャベル山脈は終わり、トラックは山脈の東斜面に周りこむ。進行方向は南東向きに変わり、サース谷の奥に向かって行く。この先には、イタリアとの国境が待っているわけだ。
歩いてきた西斜面と同様に、二千m台を前後しながらトラックは続いていくが、山肌はより急峻に削られているように見える。山頂の方からトラックが合流しているので、朝のミスコースのまま山頂をノッ越せば、こちらに出て来れたのだろう。霧は出たり、消えたり、を繰り返している。時折谷底まで日に照らされると、一本道をミニチュアのバスや車が動いているようで、遊覧飛行の気分になれる。


12:25 見えるのはバルフリン氷河(
balfrin
gletscher )の末端だろうか、その壁から水を集めた沢を渡るべく、沢床へ降りていくと、木の橋が掛けられていた。すれ違ったハイカーに、午後から雨の予報だと聞き先を急ぐ。
崩壊した斜面にも、道は延びていく。トンネルの作られた沢にも出くわす。掘ったのではなく、直径2mのパイプを落石で埋めた様に見える。次第にトラックは標高を下げ、森の中に入ってきた、次の町が近づいてきたらしい。
15:45 一軒目の民家を横切る。サースフェーのダウンタウンへ近づいていくと、ホテルやアパートメントが増えてきて、観光客が往来する風景になった。ツェルマットに良く似たリゾート地だが、よりこじんまりまとまっている。インフォメーションを探し当てて情報収集すると、この町にキャンプ場はなく、更に下がってサーズグランド(
Saas
Grund )まで降りなくてはいけない。この先のトラックは、車道に沿ってサース谷の奥へと向かうので、歩くことにこだわらず、明日はバスを使って時間稼ぎをすることにして、サーズグランドに降りていった。
キャンプ場はオートキャンプ場だが、隣との間隔が広いので静かな夜を過ごせそうだ。もちろん今日も、ツェルトは木の下に張る。シャワーも勢いが良く、気持ちがいい。後に解ることだが、僕が泊まったスイスのキャンプ場で最も安い料金は、このキャンプ場であり、設備も申し分ない。6.5 sfn/person/night お勧めします。
8月29日 Saas
Grund - Monte Moro pass - Macugnaga - La Piana 12時間(休憩3時間含む)
朝一番のバスを逃さないように、目覚ましで起きる。イタリアに入ると、スイスのテレフォンカードは使えないので日本に電話を入れる。しかし、その時一番声を聞きたかった、アメリカの携帯電話には繋がらなかった。アメリカの砂漠では、まだまだ電波は届かないらしい。
8:20 バスに乗る。歩けば二時間以上かかるところに、15分で着いてしまった。マッタマーク湖(
Stausee
Mattmark )、巨大なダム湖で、氷河湖のような乳白色の湖面から、水蒸気が立ちのぼっている。湖の西側を流れ込みまで歩いていく。向かう先は雲の中だ。
9:25 イタリアとの国境、モロパス(
Monte
Moro Pass )に向けて登り始める。2224mの現在地から、2868mの峠まで、岩の階段が淡々と続く。景色も開けないので、先行パーティに追いつき、引き離すことに自分の興味を向かわせる。標高2700mを越えると、足元に雪が出始めるが、グスグスですべる心配はない。
11:08 峠に建つ、金色のマリア像に挨拶する。光を受けられず、輝きを持てていないマリア様だ。ガスが全ての風景を、単色で包んでしまっている。風も冷たく、長居できずイタリア側へ降りていった。するとガスが上がり始め、すぐ傍に山小屋があったことを知る。みるみるうちに景色に色が入り、マリア像を見上げると、バックが青空に変わってきた。ザックを置いて慌てて登り返し、スイス側を見下ろすと、マッタマーク湖が見えている。そして、マリア様の見つめる方角には、モンテローザが巨大なその山容を、はっきりと見せてくれた。ツェルマットから見るモンテローザを、丁度反対から見る位置になる。でも山への距離は、こちらがずっと近い。バラの山というだけのことはある、バラの幾重にも重なる花びらを、山に見立てたような入り組んだ山頂部をしている。スイス側からモロパスまで、ハイキングに来たおじさんにパンとソーセージのランチを頂いてしまい、話しが弾む。彼は瓶ビールを持参していた。イタリア側から到着したカップルは、サースフェーに下りれば一周成功ということで、イタリア側の情報をもらう。懸案だったテオドール氷河のクレパスは、ロープを必要としないという。よしっ、これで単独でいく自信が強くなった。
12:30 今日はこの後が長いので、仕方なく下山を開始する。イタリア側は、1700mまで岩稜帯を一気に落ちて行く。更に森の中を下りつづけ、教会の屋根が見えてくると、イタリア最初の町、マックナガ(
Macugnaga
)に入る。イタリアに入り、ますます英語が役に立たなくなってくる。サースフェーの銀行で「イタリアでもスイスフランで買い物が出来る」といわれ、ユーロへの換金をわざわざ止めたのに、現実はユーロでなければ、ジュースも飲めない。さらに、この町に銀行はない!イタリアで停滞できないぞ。
15:30 コース配分的には、明日の部分になるクアラクサ渓谷(
Valle
Quaraxxa )へ向けて進みだす。明日の峠越えは長い、とモロパスでのカップルに教わったので、少しでも峠に接近しておきたかった。それからもう一つは、町から離れるためであった。
16:20 廃墟となった農家なのか、水飲み場がありハイキング客が休憩している。この先からは、人の出入りも少なくなりそうなので、夕方まで時間調整する。
17:10 キャンプ用に、水2.5リットルを追加して森に入っていく。森林限界の手前でテン場を探し、松の木の下に寝床を作る。当然のことだが、木の下は根があって、なかなか平らな部分は見つけられない。さらに多くの場合、居心地のよさそうなところは、牛の糞が大きなお饅頭となっている。僕のほうが一見の客であるので、乾いていれば合格として拝借させてもらった。今宵の地を決定したのは18時を過ぎていた。

8月30日 La
Piana - Col del Turlo - Rif. Pastore - A. la Balma 9時間半(休憩2時間半含む)
8:00 初めての快晴スタート、峠越えに最適、よっしゃ!
すぐに La
Piana という地区を通るが、岩が積み上げられた外壁のみが残る廃墟となっていた。昔の牧童が集っていたのだろうか。強い日差しに気づいて、日焼け止めクリームを慌てて塗る。必要性を感じられる空が、うれしくてたまらない。やっぱり山には青空が似合う。
ここから延々と、岩が敷き詰められたスロープを登りつづける。視界はひらけ、牧草が点在する中を幅2m以上の、りっぱな岩の坂道、階段が遥か先の高みまで、右へ左へと蛇行しながら続いている。
9:38 石室の非難小屋( Bivacco Lanti )に着く。中に入ると鍋はあるし、暖炉はあるし、テーブルもある。更にガスコンロまであり、繋がれたガスタンクはたっぷり入っている重さがある。外には、沢からホースが引かれて水もある。テントでも快適に過ごせるだろう。
11:33 石のスロープを登りつづけて、峠(
Passo
del Turlo; 2738m )に到着。少し手前で、スタインバックと2m圏内でご体面。子供を2匹連れて散歩していたようだが、やはり、全く僕のことを意に介していなかった。峠にはイタリア側からのカップルが、一足先に着いていた。彼は格好のいい帽子を被っている。この立派な石畳のことを聞くと、丁寧に解説してくれた。これはイタリア軍が、峠を挟んだ町の貿易を盛んにするために、建設したものであること。当時峠にある建設記念碑には、ムッソリーニの像が付いていたが、剥がされ現在に至るという。たしかに、石碑の右側には欠けた部分がある。そうか、彼の帽子は軍隊の帽子だ。急にピンバッチに目がいく。
12:05 この峠を下ると、二つのコースが取れる。町を経由しながらの正規TMRと標高の高いところをつなぐショートカットコース。正規TMRが通過する町、アラーナ(
Alagna-Vasesia
)には極上のイタリアンが、手ごろな値段で味わえるレストランがあるという。家族4人で後者のコースを通ってきたパーティには、天気が良ければ最高だ、ただ僕の進行方向だと、ほとんど登りになると情報をもらう。僕は一人で“極上”を堪能できるほど、繊細ではない。後者に進むつもりで下山を始めた。
森林限界を越えているので、石畳が森の中に消えていくまで良く見える。かなりの勾配が続く。1800mまで下りてくると、森の中に入ったが雨雲の中にも入ってしまった。道にも迷い、木の下で雨宿りをする。道の右側からオバチャマがふたり、合羽を着て歩いてきた。手ぶらなのでお散歩か?地図を開いて訪ねるが100%イタリア語、英語しか解らないんだ、と言ったところでイタリア語で話しつづける。地図にある山小屋の名前だけを言うと、一緒に来いと手招きしてくれる。ドラゴンクエスト実践編だ、と後ろに続く。おばちゃまも両手を広げ、上下させながらポンテ、ポンテと説明してくれる。後にそれが「橋」だと解る。ポンテはイタリア語だったのか。
14:50 山小屋(
Rifugio
Pastore )を確認する。リゾート地に来ているような、洒落たお客が沢山見えるので休憩もほどほどに歩き出す。山中テント泊は、人に見られないことが一番の安全だ、と思っている。雨は間欠的に降ってくる。
一度急な登りをすると、次の山小屋( Rifugio Crespi Calderini )がある。川に沿いながら、牛の横を抜けていくと、稜線への取りつきに近づいてきた。稜線では平らなところは難しそうだが、ここまでは牛の活発な活動範囲だ。湧き水があり、再び2.5リットルを背負って、稜線を上がって行く。登りきると、豪快な滝を正面にした草地が広がり、傾斜はあるが今晩の地とした。
8月31日 A. la Balma - Stafal - Reasy - Mase 11時間(ゴンドラ乗車、休憩等5時間含む)
空は雲が覆っているが、高いところにいるので山々は見ることが出来る。ただ地図によれば、すぐ近くに氷河が迫ってきているはずだが、目で確認することは出来ない。
8:08 トラックに戻り、ロープウェイの山頂駅に向けて上がっていく。冬だけの営業なのか、人気はない。もう一回ゴンドラの下を過ぎると、壁が迫ってくる。どこを登るのか見当がつかない。岩質ももろいので、標識を慎重に追っていく。マッターホルンの経験が、少し役に立っているのか。一気に、上に登り詰める道になっている。
10:05 目の中に、岩肌でなく遠くの山々が映りこむ。しかし雲の方が多く、トーンが落ちた映像だ。あっさりした、鞍部を示す道標が建つ。すぐ傍に山小屋が見えるが、下界から離れているので、ぐっと質素な作りをしている。高原状に開けた平地には、スタインバックが10頭いや20頭はいるだろうか、家族連れで、のんびりくつろいでいる。全く逃げないのに、野性なのである。きっとおいしくないに違いない。
ここから緩い下りが続き、次の山小屋( Rifugio
Citta )を通過し、もう一度登ると、広い傾斜地にゴンドラが掛かっている。スキー場に飛びだした。そしてここのゴンドラは動いている。
・・・・・スキー場の夏の景色ってご存知ですか?想像以上に寂しいんです。不自然に岩が露出して、あるはずの植物達が消えて、保水力もないからガレ場が下まで続いている。冬になれば、スキーに傾倒してしまう自分をタナに上げて、無責任な発言だと思いますが、こんなに痛がっている山を見るのが苦しくて、ゴンドラの山頂駅に登り返し、下り線を利用させてもらいました。
12時前に冬のリゾート地、スタファル(
Stafal
)に着く。ゴンドラ代はスタファルまで下りてから、発券所でキャッシュカードで支払う。カードなら、当然ユーロもOK。次に続くトラックにも、ロープウェイとリフトが掛かっているので、ワープすることにする。町を散策するが銀行無し、スーパーも無く何も買えない。買えないと無性に食べたくなり、一軒だけの軽食屋に入る。しかし、この店ではカードが使えない。ケーキも食えないのかっ!おばちゃん相手に粘るが、スイスフランは受け取ってくれなかった。そのとき、ふとウエストバックにあるフィルムケースのことを思いだした。父親がヨーロッパ旅行のときの、余りユーロコインをくれたのだ。カウンターに全てのコインを広げて数える。このお店で買える品は、2.5ユーロのホットドックだけだった。
いやいや、とサースフェーの銀行で聞いた“スイスフラン有効説”を信じてしまった自分の甘さを、悔やみながらロープウェイ乗り場に戻ると、さっきまで開いていたドアが閉っている。おそらく、と考えながら発券所に近づいていくと「業務は午後2時から」の札が掛けられていた。きたきた、Shinjiワールド!これくらいなら、ハッハッハと笑って流せるまで成長した。

14:30 2本目のリフトを降り、歩き出すが大雨に見舞われ、カッパを着てスタート。下り中心なので、汗をコントロールしながら歩を進める。ここもスキー場だが、リフトの搬器はしまわれ冬を待っている。森の高さまで下がってくると、雨も上がり、気持ちのいい太陽が照らし始めてくれた。ほどなく人が沢山集まっている山小屋(
Rifugio
Ferraro )が現れる。日本の山小屋とは対照的に、若者が多い。外に並べられた長椅子に腰かけ、日向ぼっこをしている。久々に顔を出した太陽を歓迎しているようだ。
唐突に現れた人の密集地帯を抜けようとしたとき、正面から近づいてくる、初めてではない顔に気がついた。二日目に出合ったカップル、ベンジャミンとアンドレアだ。お互いに記憶を巻き戻して、再会を祝う。彼らは毎日歩くことに固執せずに、通りぬける町、山小屋での時間を楽しみながら、ホリデーを過ごしている。昨日ここに来たが、太陽があんまりにも気持ちいいので散歩だけして、もう一泊するという。
濡れた服を、ぐんぐん乾かしてくれる陽を受けながら、僕の心は猛烈な早さで、ニュージーランドの森に引き戻されていた。時間を共有できるパートナーと、陽が降れば寝転び、月がやさしい山のカーブから頭をのぞかせ、夜のお勤めを始める「月の出」を、同じ視点から眺める時間がほしい。慌てて自分を引き戻したが、同じ景色を見てつくられた、二人の笑顔の残像はなかなか消えなかった。
話しが途切れず休憩が長くなるが、こういう時間は大歓迎だ。帰国の話しになり、チューリヒから飛行機に乗るのであれば、帰国前日のチューリヒ泊は家に来なさいよ、無駄な出費する必要ないわ。とアンドレアが薦めてくれ、地図まで書いてくれた。2度目の再会を期待して別れたが、実際スイス最後の晩、チューリヒでお世話になってしまった。
16:30 やっと歩き始めた。陽に暖められ、緩んだ匂いのする森を抜けて行く。小さな町で標識が消え、コースに自信が無くなり、向こうから歩いてきたおじさん二人組みに場所を確認すると、しっかり間違えていた。僕の目指す方向に帰るところだから一緒に来なさい、と先導してくれた。リーダー格のおじさまは英語も堪能で、僕の相手をしてくれる。もう一人は笑顔だけでの会話になった。無事にTMRのコースマークを発見、本線に戻りおじさまに手を振る。
次に目指す峠まで、傾斜は緩いが長いのぼり続いていく。岩山の壁からガスが降りてくる、道は斜面を上って行く。ほどなくガスに包まれだし、服が湿り気を増してくる。廃墟となった岩室に近づいていくと、サングラスに水滴がついた。もう少し平ら、もう少し広め、とテン場を探しているうちに雨は本振りになり、コースも違っていることに気づき、本線を確認できるところまで戻る。結局初めに目星をつけた、松の下に入りこんで、赤い一枚布の宿を建造した。時計は7時を過ぎている。空気が冷たい。夏という布陣が後退しはじめているのを感じていた。
9月1日
Mase
- Theodolepass - Zermatt 8時間(ゴンドラ、休憩2時間含む)
そうか、9月になっていたのか。5時起きのはずが6時半を過ぎていた。寝にくい斜面だったのに、良く寝ていたものだと自分に感心する。
8:14 歩き出す。TMRのマーク探しは、オリエンテーションのようなもので、見つけるたびに小さな喜びが湧いてくる。緩い登りが続く中、陽が刺してきたので「乾燥タイム」と称して、濡れもの一式を岩の斜面に広げる。現在地が載っている隣ページには、ツェルマットの文字が見える。たった二週間しかいない町なのに、その綴りに懐かしさを覚えてしまう。
10:24 軽くなったザックを背負い直した。標高2808mに位置する氷河湖(
Grand
Lac )に向けて、トラックは角度を増し、つづら折れに姿を変える。30分で湖面の高さに立ち、今度は眼下に氷河湖を見下ろすように、道は続いていく。だんだんと湖面との距離がひろがるにつれて、それは白を混ぜた深緑色から、光をまとった水色に変わり、この一枚岩の上から飛びこんでも、何事も起こらない気分になってきた。
11:18 湖を背にして登りきると、鞍部(
Col
Nord des Cimes Blanches )に出た。すると正面に、ガスの中に身を隠したマッターホルンが、頂上部だけをみせながらも、充分な存在感を持って現れた。イタリアでは、マッターホルンはツェルビノと呼ぶ。今はツェルビノを見ているわけだ。そのツェルビノから延びる稜線に向かって行く。その稜線の向こうに、テオドール氷河がツェルマットに向けて流れている。
トラックは、一旦下降してスキー場に入っていく。荒涼とした、岩屑の世界に包まれる。不自然な人工物が目に入り、複雑な気分になる。冬になれば、その人工物に頼って楽しませてもらうのに。つくづく身勝手な感情に支配されていく。一本のロープウェーだけが夏の営業をしていて、その四角い箱を見上げながら通過する。冬のスロープを上って行く。一番登りにくい坂道に感じた。
稜線が近づき、稜線上に建つ山小屋( Rifugio
Theodule )を確認する頃から、雪の上を歩いていく。その山小屋についたのは、二時前だった。中に入り、店員の女性に油をうる。彼女が今朝作ったという、シフォンケーキとホットチョコで、一足早い完歩祝いをする。ここはスイスとの国境で、スイスフランを受け取ってくれたから出来たことである。
14:40 靴を履きなおして最後の下降路、テオドール氷河に降りる。慎重に、慎重に。何度も口に出して、体に伝える。夏スキーのスロープになっているし、新雪が無いため、クレバスも良く見える。雪も午後になり緩んでアイゼンもいらない。それでも単独行は、ひとつでも何かを起こしてはいけない、と緊張を解かないように降りていく。クラインマッターホルンがすぐ横に見えるが、すぐ上には光を通すことを拒むような、厚い雲が居座っている。最も安全と教えられた、リフトポールを結ぶ線から外れないように、氷河の中を歩いていく。
15:31 ゴンドラステーションに着く。観光地に戻ってきた。そこから見える下山コースに、歩きたい衝動をおこす景色はなかった。ゴンドラのチケットを買い、下り線のゴンドラに乗りこむ。
16:10 ツェルマットの観光客の一人に戻る。多くの人が行き来するメインストリートを抜け、スタート地となったキャンプ場に満足感をお土産にして入っていった。
終わった。途中輸送手段を使ったが、このヨーロッパの地で一週間トランピングが出来、経験値を増やせたことは今の僕には大きい。スタートのとき、時計回りを選んだことは報われなかったが、想い出というのは良いことしか残らないものである。この大きな周回コースで出会った風景、人そして動物達に感謝したい気持ちばかりが先行している。
コースは、イタリア側で若干わかりにくくなるのの、目を三角にしてルートを選ぶようなところはない。
ぜひ、パートナーとともに街を、人を、歴史を、そして時間を楽しむコースとして選択してほしい、ベンジャミンとアンドレアのように。
