9月29日 地図(練習中です)はここをクリック
28日、斜里町立知床博物館のパソコンで天気予報を見ていた。明日の予報は赤い太陽マークだけが朝から晩まで付いている。当初は明日も周辺でのんびりするはずだったが予定を前倒しにすることを決める。
初めて知床に来たのは15年前、自転車で北海道一周をしているときだった。斜里側から知床峠を目指してペダルを踏むはじめた。峠まで一度も足をつけずに上りきる、それがライダーハウスを出たとき自分に課した命題だった。。
その後はバイクに乗り換えて何度となく北海道に上陸し、チャンスがあれば知床の自然の中で遊ばせてもらった。100キロ以上はなれたキャンプ場で見た朝日の美しさに突然知床を目指して走り、羅臼岳に登った記憶もある。その時はシャリバテになり頂上で目が回ってしまい、山頂にいたハイカーからアメをもらってやっと動けたはずだ。
羅臼の奥、相泊から知床岬まで歩いたこともある。竿を持ち込んでオショロコマをテンカラで釣りながら「釣りに夢中になりすぎるとヒグマとバッタリ出会うぞ」と助言をもらったことを覚えている。干潮のときだけ通行可能なポイント、番屋にいた爺さまと遇いそのお孫さんに道案内をしてもらわなければ見つけられなかった岩場の道など、日本の自然の中でもひときわ神秘性を秘めた自然の塊、それが知床半島だった。
そしてもう一つ、長い時間温めていた知床。それが硫黄山への縦走だった。今では普通に紹介されているが、当時はまだ情報源も少なく探検色が強かった覚えがある。10年以上の時間が経ったがやっとこのためにこの地を訪れることが出来た。
前日、知床自然センターで情報を集める。はじめは羅臼口から羅臼岳にあがり硫黄山へ向かおうかと思ったが、カムイワッカから羅臼に戻るにはバスの乗り継ぎが大変でウトロ一泊との話をもらう。それでは、と今まで二度登ったことのある木下小屋からスタートすることにした。車内で朝を向かえモーニングコーヒーから始まった頭上には青空が予報通り登場してくれている。
6時15分、何組かの先行パーティを見送ってからザックを背負った。季節は秋、水の確保に不安が残るので知床自然センターでは弥三吉水で水を汲むことを薦められたが、大差なしと初めからキャンプ用水も持ち上げることにした。急ぐ山ではない。
弥三吉水(やさきちみず)は豊富な水量がある。銀冷水(ぎんれいすい)も流れは細いが枯れていなかった。大沢の雪渓は全て解けて岩の階段を上がっていく。羅臼平は影がないくらいの陽だまりになっている。そして右手には羅臼岳が岩の頂を青空の中に延ばしている。
男性一人、カップル一組と羅臼平で油を売ったあと三ッ峰に進路をとる。15年間歩きたかった道に踏み込めた。それもかなりの確率で一人で歩けるだろう。うれしさで顔がニヤついているのがわかるほどだ。道は“始まるよ”といわんばかりに自然児になり、土嚢で作られた歩きやすい階段は消え道幅もせまくなった。とはいえルートははっきりしており見失うような危機感はない。
三ッ峰のキャンプサイトはこじんまりとまとまっている。そして日本で初めて「フードストッカー」の名を持つ食料保存箱をみる。クマの興味をそらすために、ここではテント内に食料を置かずにフードストッカーに保存して朝を迎えるルールになっている。ステンレスの箱は3箇所で鍵が掛かってクマが開けられないよう工夫したものだ。大きさはみかん箱ぐらいで大パーティは想定していないことが伺える。テントサイトに正比例しているといったところか。水は枯れていて塩ビパイプの口は乾いていた。トイレは見当たらない。
もっともっと太陽にじりじり焼かれるはずだったのだがガスが斜面を駆け上り始めた。すごい勢いで羅臼側の斜面を舐めて稜線を越え、ウトロ側に滑り降りていく。サシルイ岳に上がる前に濃霧に覆われてしまった。それでも山頂はガスの上で雲海に浮かぶ知床連山を見ることが出来る。振り返ると羅臼岳のピークだけが突き出しており、前方には硫黄山から知円別岳までのひとまとまりが見える。知円別岳からの稜線が真っ白になっていて雪といわれれば信じられるくらいの白さだ。火山で変成した岩石の色らしいが、道はあの尾根に続いていく。足元にしたときが楽しみになる。
ガレ場を下りオッカバケ岳に登り返す。早い時期には雪渓なのだろう。下りきったところに小さな沼が一つ出来ていた。オッカバケ岳山頂でもう一度ガスが下がるのを待って目指す硫黄山を確認して二ッ池に下りていく。しかしガスは濃くなり二ッ池がなかなか見えてこない。ほとんど下りきる頃に手前の池が確認できた。視界は100メートルぐらいだろうか。ここにもキャンプサイトが作られていてフードストッカーが備えてある。三ッ峰よりサイト数は多い。池の水は冷たく透明度があるので煮沸すれば充分だろう。そしてここにもトイレ設備はない。
南岳に向けて崖の上につけられた細い道を進む。再びガスが濃くなり空気中に水の粒を感じるようになる。ハイマツについた水滴で服が重たくなってきた。崖のヘリを離れる頃体温低下を防ぐ意味で雨具を着て知円別分岐へ向かう。分岐には“←Mt.イオウ”と文字部分が切り抜かれたプレートがあり、崖の下のトラバース路を抜けるとサシルイ岳から見た真っ白な斜面の上部にでる。白い火成岩に更に硫黄成分が付着したのだろうか表面に乳黄色の「うの花色」が上塗りされている感じだ。細かく崩れているので踏み外さないように稜線を進む。ガスが薄くなると羅臼側の斜面が見通せるようになり太平洋が見えてきた。深い緑の中に荒々しく崩壊している谷が陥入している。静止画なのに自然のエネルギーの強さが飛び込んでくる。
白い斜面の先に黒い岩峰が突き上げている。これがコケシ岩だろうか。ウトロ側の視界もよくなってきた。すると斜面の下に人工物の金属色がある。形から今まで見てきたフードストッカーに違いない。下に見える盆地状の平地が第一火口キャンプサイトらしい、地図からもそう読める。コケシ岩のすぐ近くまで来ると白い砂礫斜面にジグザグをきった足跡がついていた。視界も利いてフードストッカーを目印に急降下した。
斜面は上部にハイマツの緑、中央付近から潅木の黄色、さらにチングルマの草紅葉が入り込み綺麗な錦色を見せてくれている。白い砂礫の壁の続きに岩峰が伸び、一年中残る雪渓からは水の音が聞こえてくる。言葉を不用にしてじっと景色を眺めさせてくれるキャンプサイトだ。平地は充分に広く景色に高揚しながら2、3周してテントサイトを決める。テントサイト、食事会場、フードストッカーの3点の位置を考慮する。かまどが作られていたので枯れ沢に残る乾いた枝を集め焚き火のある知床ナイトを過ごすことにした。
9月30日
明け方から雨がフライシートを叩き始め、止まずに朝を迎える。行程としては慌てる距離ではない。二度寝、朝食のあと寝袋に半分入って読書の時間にあてる。読み終わってもまだ降っている。しょうがない、濡れたテントを背負って下がるか。
フライシートを張った状態でテント本体をたたみ、パッキングもテントを残して終了させる。最後にスピード撤収してザックカバーをかけて完成、雪渓の横を上がって稜線に戻る。この第一火口にもトイレはなかった。
本線に戻るとじきに硫黄山山頂への最後の岩登りになる。薄くなったルートマーカーを追うが3点支持が必要なところもでてくる。山頂から確認するとどうやら旧道だったようで、山頂ルートはしっかりと東側に回りこんでから取り付くコースとなっていた。山頂では雨も上がりガスも切れ出してオホーツク海、太平洋ともに見下ろせる。知床岬の方角にはどっしりと構える知床岳が山頂まで緑に覆われた姿を見せている。あの奥には幻の巨大イトウが住んでいるといわれる知床沼がある。
石を落とさぬように本線に戻り硫黄沢を下りていく。岩が濡れているのでペースをあげず安全第一で下りていく。沢から980M尾根に上がる藪への道は沢にロープが渡されはっきりと示されており見落とすことはない。以前このまま硫黄沢を下ってしまい遭難した例が報告されたのをうけて更に整備を進めたのだろうか。現在の状態では下り続けることのほうが難しい。
硫黄臭を感じると新噴火口の噴煙が近い。前方の森の中からも何本か煙が立ち上がっている。カムイワッカ湯の滝があるあたりだ。登山道から湯の滝に通じる道はなく緩い傾斜の森の中を進んでいく。車の音が混じってきた。文明社会に吸収されていくかのように少し急になった道を降りていった。
―――知床が世界自然遺産登録になるか、現時点(04年10月)では国際自然保護連合(IUCN)からの質問に対する回答を作成している段階だが、登録されれば当然世間の目は今まで以上に知床に向けられる。今回歩いた縦走路も現在の整備状況であれば、今の登山ブームを引っ張っている中高年の方々の対象に充分になりえると感じた。そこで気になったのがどうしても“トイレ”である。既に北アルプスをはじめし尿問題が表面化している山域がある。それを見ていながら登山道上のトイレの整備については手をつけていないと聞いた。すぐに表面化するのは木下小屋からの羅臼岳登山道だろう。アプローチも楽で日帰り、短距離、そしてコースの変化もある。しかしトイレはない。
町として、国として追い風があり、エコツアーを具現化しようと盛り上がっている今、対象物を守る初歩の取り組みを軽視していないだろうか。予算をどこから出すか?素人考えだが環境省が補助する「エコツーリズム推進モデル事業」の資金でもいい、推進するために“まずありき”投資だと思える。ただし、それは建てれば終わりではない。トムラウシの報告でも述べたが維持することが重要であり困難な問題になる。登山道を継続的に管理する組織は出来ないものだろうか。
ニュージーランドでは自然保護省(DOC)がほとんどのトラック、山小屋を管理している。公務員が壊れた扉を修繕し、ペンキを塗り、トイレ掃除をし、トラック脇にに雨水を逃す溝を掘っている。そしてビジターセンターでは山歩きプランの相談にものっている。トラック上で出会えば気さくに世間話をはじめ、その先のトラックの生の情報を教えてくれる。DOCから学べることは多い。今までの日本になかったものを取り込むことは容易にはいかないであろう。しかしこのまま自然遺産として登録され、メディアの洗脳報道にのせられた「一般の人々」が訪れれば知床はその姿を後世に伝えられないと感じている。
ちょうどこの文章を書いているときに、し尿問題のことが唱えられていた。⇒記事へ