今回の滑落事故に関する報告書ではあるが、セクションを分け山行報告・滑落事故報告について記す。
9月29日
19:00新宿に集合し、車にて出発。21:30松本インター着。松本インターから10分程度にある「松本温泉(健康ランドのような物)」にて風呂と仮眠を取る。
9月30日
5:00松本温泉発。6:00沢渡着。片道一人1000円の約束をとりつけ相乗りにてタクシーを利用。8:00上高地着。8:30上高地出発。
天気は良好。思ったよりも人は少なく、徳沢・横尾への道を急ぐ。本日の(標準時間を参考にした)予定歩行時間は9時間を上回るため、平地にてなるべく時間を稼ぐよう努力する。
横尾と一の股(常念乗越方面との分岐)の間での「槍見」にて初めて生の槍ヶ岳を目にする。
槍沢ロッジから槍沢キャンプ地を過ぎると、広いゴーロの脇をゆく緩やかな登山道となり、更に大曲からはガレを登らされ、遂に息が苦しくなり始める。
天狗原への分岐を過ぎたあたりからまず山頂付近が見えなくなり、暫くしてついに自分の廻りにもガスが立ち込め視界が狭まる。これは槍岳山荘まで変わらず、視界の利かない中苦しい登りを強要される。
17:00槍岳山荘着。テント泊の手続きを取り、テン場を確保した後すぐさま夕食を取る。
今晩の食当は亀山。海の幸系のご飯とおかずがおいしい。
越山氏は完全にグロッキーで食事直後に就寝。かく言う平山も先日よりの風邪がこじれそうになり、就寝を希望。不満げな亀山をなだめながら2杯だけお酒に付き合い皆で就寝。19:00
10月1日
4:00起床。4:40槍ヶ岳へ出発。5:05山頂。
45分間待ち続けるが、霧は晴れず何も見えない。下山。
朝食を取り、北穂高・涸沢を目指して7:55出発。
中岳・南岳・南岳小屋と進むが、霧のため何も見えず。時折空に透かして見え隠れする太陽がひどく温かく感じる。A沢のコルすぎ当たりからの飛騨泣きでは、実際泣きそうにもなったが、霧のお蔭で下が見えず、逆に高度感を減衰してもらえた。飛騨泣きをすぎ暫くすると「北穂・200M」のペンキ表示。
12:45すぐに瀟洒な北穂小屋に着く。
折しも、やんでいた雨が小雨になったため、また平山がややシャリバテ気味だったため、ここで大休止とする。
ジュース300円。お汁粉500円。スパゲティ900円(ミート・キノコあり)
15:00北穂小屋出発。強い雨が降り始めたため(とは言っても降ったりやんだり)、完全装備にて出発する。
15:05奥穂・涸沢(北穂南稜)の分岐。
15:20南稜のつづら折りにて、亀山滑落事故発生。
なるべく時系列に沿いながら、事故発生からヘリで豊科赤十字病院に収容されるまでをしるす。
尚、事故発生直後から、平山は亀山には付き添っていないため、現場の状況については付き添いをした越山氏および当事者・亀山の話を参考とした。
10月1日
つづら折りの道を、越山-平山-亀山のオーダーにて歩いていた。
つづら折りの折り返しに平山が差しかかったとき、上方(亀山のいるはずの方向)より小石が踏み引きずられる音がした。
降り仰ぐと、宙を旋回する亀山が目にとまる。程もなく、かれは平山が歩こうとする道をバウンドもせずに飛び越え、谷方向へと飛び・転がってゆく。
20m程下方は斜度がきつくなっているようで、また霧も濃いため亀山の姿が視界から消える。滑落音が消えた後、我に返って越山氏とともに亀山の名を叫ぶ。
返事ではないが、うめき声が聞こえる。
生きてはいる、と判断し、越山氏には亀山への声をかける係を、平山は通報する係を分担する。事故発生時間と事故現場の特徴を確認。
平山は、南稜を下り涸沢を目指す。途中、ザックを背負っていることに気付き、登山道途中にザックを放置する。更に、「事故現場からは北穂小屋の方が近かった」事に走りながら気付くが、時既に遅くとにかく下を目指す。
平山出発後、声をかけ続けた。暫くして返事があり、現状は命があることを確認。
声をかけ続ける中、霧が晴れ亀山を目視で確認。滑落現場にザックカバーを結びつけ目印とした後に、登山道を下り亀山の滑落停止位置まで移動する。
この場所が、亀山の姿も確認できまた、北穂から来るであろう救助の人間をも確認できるため、ここに越山氏の居場所を定め、改めて亀山に声をかけ続ける。
週末前、また雨模様のためごった返す小屋に突入し、滑落事故発生の旨を報告する。
すぐに担当の新井氏が現れ、その後の対応を取ってくれた。
まず、「事故発生時間・事故発生場所・現場の状況・確認できる範囲での事故者の状況」を聞かれる。
その結果、新井氏はすぐに北穂小屋に連絡を入れる。これにより、北穂小屋より足立・小山両氏が現場に向かうことになる。
ついで、平山の息が落ち着いたときを待って、我々パーティのアイデンティティを聞かれる。
ひととおり聞かれた後、その情報を下に新井氏より警察に報告が入る。
新井氏との話の後、平山に電話がかわり、
・事故者(亀山)と通報者(平山)の関係
・山岳保険加入の有無
・事故者の肉親の連絡先
・山行の予定(これまでとこれからの)
・ヘリを要請するか否か
などについて警察より質問を受ける。
警察との電話の途中、無線が入り、
「事故者は生きている。左足を非常に痛がっているため骨折の可能性あり。頭部に大きな裂傷がいくつかあるが、既に出血は止まっている。意識はあり、返事ができる状態」
との現状報告が入る。
電話終了後、亀山の肉親の連絡先・山岳会の連絡先等の情報を得るために、ザックを回収しに南稜を登り帰し、そして17:40頃涸沢小屋に戻る。
北穂からの救助者は、ガレ場途中に泊まっている亀山を回収し、登山道へ移動させ、さらに天候などを考えあわせた結果(当日は風も強く、しかも霧が深く立ち込めていた)、
「本日は、登山道途中にツェルトをたて、亀山・越山両氏に緊急ビバークをしてもらう」
こととし、早速狭い登山道を地ならしし、ビバーク準備に入る。この決定は、どういう流れでどの方達の協議により決定されたのか不明。
ザックを回収し涸沢小屋にもどると、開口一番、新井氏より「事故者と同伴者は、登山道中にビバークすることになった」旨を知らされる。
と同時期に警察より三度電話が入り、
・事故者の救助は、明日に回されたこと
・天候さえ許せば10月2日朝一番にヘリを飛ばし、救助作業に入ること
・状況さえ許せば、同伴者の越山氏も同時にヘリにて確保する意向であること
・上述の予定は、すべて当日朝決定されるため、平山においては、涸沢小屋にて連絡が入るまでずっと待機しているべきこと
を正式に申し渡される。
この日平山は、小屋の好意により布団を分けてもらい、小屋泊りとする。
土川氏とも連絡が取れ、何回かの電話のやり取りの後、
・早蕨の会から何名かの方が救助にいらっしゃること
・10月2日の早朝には沢渡に待機していること
・2日、ヘリなどの状況が分かり次第、土川氏の携帯に連絡を入れること
を取り決める。
(結果的にこの内容は変更され、早蕨救助組(土川氏・中村氏・塩見女史)は、豊科警察署に詰め情報を収集する方向で動いた。)
亀山のご両親には何度か電話を行ったが、電話に出る気配無し。
(日曜日まで亀山のご両親は旅行中だった。)
ビバーク中、痛がりながらも亀山は非常に食欲旺盛で、越山氏の方が身のほそまる思いだったとのこと。
(行動食のアルファ米などを食した模様)
10月2日
もっと前からヘリは涸沢のカール地帯に到着していたが、どうやら山小屋の荷揚げ作業なども兼ねて飛んでいるらしい。
暫くするとやっと北穂南稜の方へヘリが移動する。
と、同時に新井氏に無線が入り、
・これから事故者と同伴者を救助すること
・網とロープでつる下げて救助した後、涸沢ヒュッテのヘリポートにて人間・荷物の積み直しを行うこと
・同伴者の意向で、ヒュッテヘリポートにて平山と越山の交代を行いたいこと
を伝えられる。そこで、すぐに荷物を背負い、挨拶もそこそこに涸沢小屋よりヒュッテへと移動する。
網に確保されている人間と荷物を回収し、ヘリがホバリングから着陸した後、ザック2つ・人間2人(亀山・平山)を機内に入れてもらう。
そのまますぐに豊科市へ移動。
天候はきわめてよく、表銀座・裏銀座・槍から穂高までの山並みを空から一望できた。
豊科市街地わきにある空き地に着陸。
着陸地には、救急車とパトカーが待機。
亀山・平山共に救急車に収容され、豊科赤十字病院へ移動。
赤十字病院には、警察よりいち早く情報を入手した、早蕨のメンバーが待機していてくれた。
すぐさま救急治療室へ収容され、簡単な所見を医者に見られた後、全身のレントゲン・CTスキャンの検査を受ける。
自力で下山すると思われた越山氏は、山小屋の好意により物資移動のヘリにて上高地まで運ばれ、さらに車にて沢渡まで運ばれたとのことで、予想以上に早く病院に到着する。
この頃、CTスキャンの結果を下にした脳外科医の所見報告がなされ、
「脳みそだけなら、いますぐにでも登山できるほど正常な状態である」ことが伝えられた。
また、整形外科医からは、
「頭部・脚部などに裂傷が多いものの、どの部位にも骨折が認められない」ことが報告された。
よって、「本人の希望もあり、本日の帰宅も問題なしと判断する」とのことであった。