1999年12月29日
納会を1時間で切り上げ自宅にザックを取りに帰る。この時間に戻れれば集合時間には少しの余裕を持てる。この先数日間の垢を先にとっておこうとシャワーを浴び顔の傷にテープを張る。傷口が凍傷になるのが怖いので2重張りにして厳重に固めた。18時新宿に集合、すでに土川さん、塩見さんは到着していた。積み込みの作業をしていると宮川さんが餞別に現れてくれた。早蕨祭のやけどが予想以上に後を引き今回の山行はドクターストップになってしまった。僕の存在が心配の種になっているようで「亀っていうくらいなのだから名前を引き継いで慎重に歩いてくれよ」と忠告をいただいた。3度目のミスをするわけにはいかない。冬山でのミスはメンバー全員を巻き込んでしまう。必ず守りきって下山しなければと改めて自分に言い聞かせた。ほどなく山岸さん、中村さんが現れ今回のメンバーがすべて集合した。首都圏を抜けるのに時間をくったが中央道は年末渋滞の準備中のようで流れていた。21時過ぎに松本ICにつき、最後の買出しを済ませて22:30今夜のお宿「道の駅奥飛騨温泉郷上宝」に到着、駐車場にテントを張り恒例の山行前の宴となる。やはりどこかで緊張しているのだろう、いつもの酒量まで胃に流し込まずに意識の正常なラインで寝袋にもぐりこんだ。
1999年12月30日
06:30起床、昨晩「しんしましま」で買った牛丼を朝飯として最終準備をする。共同装備を詰め70リットルザックの大きさをフルに使う。今回の目標のひとつに「自分の準備で他のメンバーを待たせてはならない」をあげているので少しでも先取りして動くよう努力した。08:00道の駅を離れるが槍ヶ岳公園線を走っていると初日の出を迎える目的地槍ヶ岳が真っ青な空に突き上げている。何度見ても初めて見るかのごとく僕の心を高揚させてくれる山の姿だ。
08:20新穂高ロープウェイ駐車場に車を入れ09:00ついに年末いや正月山行が始った。駐車料は一泊1500円、いい収入になるのだろう。「いつまで停めますか」の問いに土川さんは「元旦まで」と応えていた。「山行計画と違うな」と感じながらもその通りの行動となるとは土川さん自身も思っていなかっただろう。
白出小屋までは林道が通じており、そこに一本のトレースが作られている。これだけしっかりしているトレースが作られるほど人が入っているということなのか。僕の知らない世界を楽しんでいる人がたくさんいる。穂高平避難小屋で最初の一本(休憩)をとり、11:25白出出合につくと大喰岳が正面に視界を覆うように迫ってきた。ここで林道は終わり木々の間を縫い、アップダウンを繰り返しゆっくりと高度を上げていく。右俣谷の流れを見失うことなく沢筋をたどりチビ谷を越え、滝谷出合を直前に控えた日当たりの良い場所で燃料補給をした。
沢越えでは水流の中を歩くことはなく1箇所だけ1m程度の板が渡されているだけだった。この山行では行動食を一日分ずつ小分けにした。内容はキットカットミニ、たけのこの里小袋、カロリーメイト、ウイダーinゼリーそれぞれひとつずつが一日分になる。それに行程をとおして食べられる飴。ただ、最後の買出しでスティックパンが加わった。
初日であること、単に距離を稼ぐ歩荷ということもあり塩見さんのペースに引っ張られるままに槍平を目指した。汗をかかずに登るペースをつかもうと上着の開放部を大きくしたりザックのショルダー部をずらしてみたりとまるで実験のデータ取りである。テント設営時にわかったことだが、僕が後ろに金魚のフンよろしくくっついていることで、すれ違う山男たちに声をかけられなかったことが塩見さんの不満であったらしい。やっぱり女性なのである(笑)。中村さんは下山してきた単独女性と接見?!していて単独で涸沢岳を登頂してきたことを聞き出していた。槍平小屋を50mほど越した平原にテンバを決め5m四方を踏み固めるが雪が軽すぎて踏んでも踏んでも硬くならない。15:30設営が終了しバーナーに火がつけられた。食当一日目、今夜で荷が軽くなる土川さんのザックから出てくる食料はまるでオートキャンプの食材である。ねぎ味噌の前菜からはじまりメインメニューはチゲ鍋。韓国製の熟成キムチ、人参、しいたけ、ソーセージと続々投げ込まれていく。さらに炊きこみ御飯までつくフルコース。食べたいだけいただいてしまった。そして乾杯はやっぱりビールでなくてはいけない。2杯目以降はウイスキーお湯割に引き継がれる。ただここで今でも原因不明だが大きなミスをしてしまう。それは気持ちの良いままシュラフに入ってから数時間後に発現した。
星座の見分けがつかないほどのまさしく“降る”ような星空を仰いで用を足し熟睡を楽しむべくシュラフにもぐりこんだのだが強い嘔吐感と共に意識を引き上げられしまった。アルコールはチャンポンしていないし、しっかり火の通った鍋を食べたし、水も沸かしてから飲んでいるし、いったいなんだ?浅い眠りのまま頭は冴えてくる。先ずは薄めよう、テルモスに手をやるが飲むという行為がひどく苦しい。頭の上によせたビニールが音を立て他の方々の眠りを妨害してしまう。「ごめんなさい」今は声に出せないので心の中で一生懸命謝った。少し落ち着いたかと思って気を緩めるとすかさず次の波が腸から全身に押し出される。シュラフの中で腹部にテンションをかけている衣類をすべて開放してその嘔吐感と戦いながら起床時間を待った。
1999年12月31日
04:30中村さんの起床宣言で朝を迎えた。待っていた朝が来たというのに今度は起きあがるのが苦痛に感じてしまう。ただ他のメンバーは何事もないようなので僕自身の管理不足か。シャリバテにならないために嘔吐感を感じながらも餅を2個流しこみ、今度は押し戻されないように口を噤んだ。07:15テント撤収を終え大喰岳との二股を奥丸山方向に進路を取る。踏み後はしっかりとしていてラッセルやワカンはいらない。尾根の取り付きから急登がお出迎えしてくれている。時々2つ3つと枝道は現れるが行き先は奥丸山山頂へまっすぐ続いている。胃のきしむ音が聞こえ足が前に出ることを躊躇しようとするが「忘れることが一番の治療、燃料は十分取っている」と自己暗示をかけながらひとつ上の踏み後に靴を蹴りこんでいった。急登を越したところで1本取り08:50奥丸山のピークに立った。
さっきまで生活していた槍平がかなりの急勾配を持つ斜面の下に見えている。次に仰角をあげると正面に南岳が鎮座し右に穂高の頂が連なっている。また西の視界が開けたことで笠ガ岳、台地状に高みを保った抜戸岳が連なり、これから向かう西鎌尾根が合流した先に双六岳までも手に届くような近さで迫ってきていた。空は完璧なブルー、99年の最後に絶好のシーンを届けてくれている。そしてこれから進む中崎尾根は浮き沈みを繰り返しながら西鎌尾根にその端を閉じ、そのいきつく先には槍ケ岳が構えている。感嘆詞ばかりの休憩を終え尾根歩きを開始する。尾根歩きとはいえ勾配は次第に大きくなり10:50鞍部でアイゼンをつける指示が出た。新調したシャルレ12本爪ワンタッチアイゼン、叔父から譲り受けたGOROの皮靴の踵にはバックル用のプレートを打ち付けてこの山行に臨んだ。これまでの1本締めアイゼンからの変更は前述の時間短縮を形にするための投資と考えた。確かにはるかに早い、そして緩まない。1本締めのときに感じた足の“ずれ”はついに最後まで感じることはなかった。道具の進化を実感できるのがうれしい。内臓の悲鳴は今だ消えず今度は口渇となって現れてきた。水不足か?誰にも触られていない雪をつまんで口に運んでみる。軽い結晶は小麦粉を含んだときのように咳込んでしまうが口の湿度を上げることには協力してくれた。
後ろを振り返ると奥丸山から続く稜線が起伏を繰り返しながら自分の足元まで続いてくる。12:30ついに千丈沢乗越にたどり着き西鎌尾根と合流した。と、とたんに強い風に出迎えられた。これが土川さんたちの言っていた西鎌の風、か。ハーネスをつけ目出し帽をかぶりヘルメットも被った。ヘルメットを持ってきたのは僕だけだが自分への戒めとしてここまで担いできた。この強風のために西鎌尾根は雪が薄く岩の露出しているところが多い。風に同行すれば飛騨谷へ直行してしまう。谷を見ていると吸い込まれていくから上を見てナ、と忠告をいただいたがその谷に刻まれているスキーのシュプールは必要以上に僕の胸のドアを強くたたいた。ここを滑りたい、足場の確かなところに来るたびにそのシュプールに目をやっていた。西鎌尾根の後半はアイゼンをしっかり効かせなくては通してくれないトラバースと急登があり体が緊張しているのが分かる。富士山の雪訓を思いだし12本の爪を全部使い、反対の足に爪を引っ掛けないように足の位置を確かめながら槍岳山荘を目指した。
日に照らされた大槍を左に捕らえ槍ヶ岳の東へ駆け落ちる槍沢との合流につくと槍岳山荘の発電機の音が耳に届き、本日の目的地まできたことを認識できた。
先客は5,6パーティーだろうか、槍岳山荘そのものを風除けに使うようにしてテントを設営していた。僕らも彼らの並びにお宿を取る。中村さんの周辺物色から建物の南端、棟を北側にした吹き溜まりを整地することに決めた。「冬山は土方作業ですから」と、土川さんは今日の行動距離に満足しているからか、笑顔でザックからスコップをはずしている。そのスコップを借りて中村さんの隣に立ち雪の吹き溜まりを切り崩しにかかるがどうにも持久力に欠ける。吹き溜まりとはいえとても軽いので簡単に切りこめるが槍平のときと同じように整地しようと踏みつけるとそのままつぼ足になってしまう。僕の手が止まっていることを見かねて塩見さんがバトンタッチ。同行する山行が増えるにつれ塩見さんの強靭さに圧倒されていく。いつの日にか「塩見さんを見物人に」と思っているがまだまだ先の話になりそうだ。といっても塩見さん自身いやがるだろうが。
本日槍岳山荘まで詰めた事で明日のご来光はテントから首を出せば良いことになり明日の行動にかなり余裕を持てることになった。ラジオからは大晦日のプログラムが順を追って消化されていく。今晩の食当は僕である。先ずは温まってもらおうとニュージーランドのスーパーで見つけたミネストローネスープを大鍋に準備する。出来上がるまでの待ち時間につきだしとしてとろろ昆布を足した凍や豆腐をつまんでもらう。昆布とひじきの炊きこみ御飯を用意してきたが昨晩も炊き込みだったので白米とする。少し緩んだ水を加え30分放置。米炊きにそれなりに自信はあるのだが水が多すぎゆるくなってしまった。陳謝します。行動予定が短くなったことで明日の食当予定であった山岸さんのハッシュドビーフも今夜登場した。大きな3つのコッヘルがすべて食料でふさがる豪勢な99年を送る晩餐となった。さらに大晦日を祝うために皆しっかりとビールをザックに忍ばしていた。冬山だろうが遊びに対するこの構え、早蕨に入会して正解だったと感じるときである。しかし自分のウイスキーに手が伸びない。あの嘔吐感の原因に答えは出ていないが今日一日悩まされたために疲労感のほうが勝ってしまっている。我慢できず食事中なのにザックを枕にひと寝入りさせてもらう。ラジオからは紅白歌合戦がノイズに混じって流れてくる。随分スッキリして2次会に再登場した。21:30暁色に染まる東の空を念じてシュラフにもぐりこんだ。
2000年1月1日
05:00中村さんの人間時計が起床を知らせてくれる。吹流しから顔を出すが雪が風に流れて飛んできているようで東の空は槍沢から立ち上ってくる雲に覆われてしまっていて地平線を見ることはできない。山頂からのご来光は諦め朝食にする。昨日の残りに中村さんの卵スープが加わった。
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07:30外からざわめきが聞こえ、慌ててテントから抜け出すと雲の上から2000年最初の陽が僕のジャケットを染めぬいていく。東を向いた斜面はその明かりを受け橙の色を呈していく。2000年がはじまった。どんな時間が僕に与えられるのだろうか、そして僕はこれから何を得ていくのだろうか。ただいえることは僕自身が求めていかなければチャンスも夢も手にできないということ。そのスタートとしてこの地に立っている。
撤収作業をすべて済まし、ピッケルだけ持って槍ケ岳山頂を目指す。3ヶ月前にみた映像が時折重なる。岩が多く露呈しアイゼンが不協和音を発している。20分も登ると最後の梯子となった。北風が吹きぬけるが我慢できないほどではない。日の出の時間に東の空を埋めていた雲は流れ去り視野に収まりきらない山脈が広がっている。足元に槍岳山荘が赤い屋根を覗かせそこから南へ穂高の峰をずっと追っていける。そして北穂高のピークであろう頂で一度僕の目は止まる。もう一度あそこに立ち涸沢に下っていく。そうして初めてあの事故を終息できるのではないだろうか。
09:20テンバに戻り最終チェックをして09:40下山を開始する。下りのコースは昨日何度も目を奪われたあのスロープの残る飛騨沢を落ちていく。強くクラストしている斜面では先人のアイゼンの歯型だけが残っている。昨日と同じように自分の足に絡ませないことを考えながら中村さん、塩見さんを追う。1歩1歩が膝あたりまで埋まり出すと歩きにくいがペースはつかめてくる。横に大きく広がる雪の斜面は自分のパウダーランを想像させるに十分過ぎる光景だ。
飛騨谷の向かいには昨日一日中歩いていた中崎尾根がはっきりとトレースまで確認できる。今も多くの登山者がそのライン上にのっている。西鎌尾根に視線を移すと雪煙が大きくなびいている。今日の風は強そうだ。その風を体験するのも大きな糧になるだろうが昨日渡ってしまったメンバーの判断と好天候に甘えてしまおう。
10:30大喰尾根が飛騨谷に落ち込むあたりに宝の木と称される孤木があり登山者たちの目印になっているポイントに着く。方々からのトレースがこの宝の木に収束している。ここまで来るとなだれの危険はぐっと低くなるようで皆にこの山行の後半を意識する笑みがでてきた。日差しは勢い良く強くなり斜面を、僕を刺してくる。11:45槍平まで戻ると初日に幕営した跡地でビールをあおった。中村さんは槍岳山荘で購入したビールを背負っていてくれていたのである。ここでアイゼンを脱ぎ、ザック重量を減らすために装着していたハーネス、ガチャ類、それにヘルメットもザックに戻した。12:10きれいに整理がついたところで新穂高温泉までの1本道を下り始め、スッテンコロリンに気を付けながら15:25土川さんのエルグランドにタッチしてこの正月山行のゴールとした。
駐車場に併設している無料の温泉館は夕方4時までの利用のため入れず、といっても行動のすばやい塩見さんはしっとりと髪を艶やかせて車に戻ってきたが、男性陣は車を動かしすぐ近くにある深山荘で年越しの垢を落とすことにした。ところが露天風呂のみで入り口には「シャンプー、石鹸等の使用を一切禁止する」と書かれてあった。残念、3段になっている湯船につかり全身の血を循環させる。料金は300円とお手ごろだが山行の後には使いづらい温泉かもしれない。松本市内で打ち上げの膳を囲み最後の大事な仕事、帰路につく。元旦であるということから中央道での渋滞は皆無であり高速道路をその名前らしく利用でき2時間後には東京都の中を走っていた。土川さんの計らいで各人の家まで送っていただき23:00僕は胸ポケットにしまってあった家の鍵を取り出した。
Y2K対策の関係者の方々ご苦労様でした。電気も水もガスも、何も変わらない家の中に北アルプスの空気を運び込むことができました。